概要
アーニー・バーンズ(Ernest "Ernie" Eugene Barnes, Jr.)は1938年7月15日、アメリカ合衆国東南部にあるノースカロライナ州の強いアフリカ系コミュニティを抱えるダラムという街の貧民区に生まれる。高校時代にフットボールで名を馳せ、奨学金のオファーを受けノースカロライナセントラル大学へ進学、スポーツのかたわらアートを専攻しペインティングの基礎を学ぶ。
1959年、アーニー21歳の時に当時ワールドチャンピオンチームであったバルティモアコルツからドラフト指名を受けプロフットボール選手となる。
芸術家への道を諦めきれなかったアーニーは絵を描き続け、ヒルトンホテル創業者の息子であるバーロン・ヒルトンの目にとまったことが転機となり、1966年初の個展 "Football In Action" を開催。マンハッタンで最も権威あるギャラリーのひとつとして知られる Grand Central Art Galleries での個展を大成功させ、華々しくペインターとしてのキャリアをスタート。
氏の作品は一貫して「内なる人間性の解放」を表現し、人物を細長に描写する表現方法で作品はフットボールなどのスポーツペインティングやゲットーの黒人生活の様子を描いたものなど多岐に渡る。ロスアンジェルスオリンピックの公式アーティストを務めた氏は、米国内ではスポーツペインターとしても有名であり、日本においては氏の代表作であり後にマービン・ゲイのアルバム「I Want You」のレコードジャケットに使われた「Sugar Shack」が特にソウルミュージックコミュニティなどの音楽業界から高い評価を受ける。
2009年4月27日月曜日の夜、惜しまれつつも他界。享年70歳。
評価・批評
第三者からの客観的なアーニー・バーンズ批評
- Benjamin Horowitz
Curator, Heritage Gallery, Los Angeles (ヘリテージ美術館 館長) - 「芸術家の作品はよく期間的なスタイルによって評価されるものだ。例えば立体派の時期があり、その後花を描くようになり、街中での出来事を描いて、そしてヌード画の時期があったりと。バーンズは30年以上描き続けて2つの時代しか持ち合わせていない。スポーツ作品か、ジャンル(日常的ライフ)かのみだ。評論家はいったいどちらの時期の方が良かったのか判断に迷う。
- スポーツに対する彼の勇敢さをあえて加味しなくても、プロとしてフットボールプレーヤーだった者が芸術の世界に入ることは容易なことではない。アメリカ人としてのルーツを追いながらジョージ・ベローズやトーマス・ハート・ベントンといったアートの師に出会う。 ベローズからはマッチョな人物を表現する術を学び、ベントンからは質素な生活の喜怒哀楽の表現方法を学んだ。
- バーンズは地元で繰り広げられるマネリズム的な風習テーマに描き続けた。ビリヤード場にたむろするギャング、教会でのミサ、街の遊び場から、それこそアメリカ人の生活のあらゆる一面を題材にした。」
- Joan D'Arcy
Arts Critic(美術批評家) - (個展 "The Beauty of the Ghetto" において)
「アーニー・バーンズは、ゲットーにおける優雅な情景や、人々の営みを躍動的に表現した。彼は美や芸術がミュージアムや大理石に囲まれた館に閉じ込まれないないように、賢くグラフィカルに表現することを目的とした。むしろ、芸術や人生、バイタリティーといったものは地理学的なものではなく、争いの可能性を表わそうとしたのである。彼はゲットーにのみ美しいものが見つかると述べたいのはなく、それは地域と歴史的な想いが重なった象徴であり、それは人の情感による副産物であると言いたかったはずだ。喜びや、それらの感情表現は、人々にとって暗闇と破滅と同様に、理解を得られるのだ。その真実を強調すべくバーンズはゲットー・ライフを描く道を選んだ。 - バーンズの作品は評論家 FrankGetlein によって『ネオ・マンネリズム』とカテコライズされた。このテクニックは16世紀の流派から受け継ぐもので大胆な色使い、直線的な手法、感覚的な動き、生活の喜びや人類の平和的将来を願うものである。そしてそれら全ては光と影の劇的なキアロスクーロによって向上されている。
また、バーンズの手法はダンスやスポーツを描いたことによりジャンル流派(仏画家 Peter Brueghel や米画家 George Bellows が主とされる)とも称された。ただし本質的にはバーンズは独自の精神的なテリトリーと時代の陰鬱とした問題には惑わされない目を持っている。我々が見過ごしてしまうセンスを作品で多くの人々に魅せてくれるのである。 - バーンズが南部のゲットーで過ごした幼少期と、プロ・アスリートとしての人生経験が二元的に表わされている。磁気的かつ直感的なスタイルにはこの二つの影響が大きく反映されている
- それぞれの作品は精神の神秘的な部分を表わす世界である。作品を見るものは、その生き生きとしたエネルギーに驚かせられるだろう。それは確立された孤高の精神であり、作品の題材に左右されない哲学であり、全ての強靭さと目的や威厳を兼ね備える。
- バーンズのヴィジョンにはとても人間的なものがある。さらに分かりやすくいうならば、人類の深層心理を描いているとも表現できるだろう。しかし、あるレベルではジョセフ・キャンベルが“至福”と呼ぶような、自分達の知識や想像を持って理想を達成する喜びを味あわせる様な存在でもある。」
- Don Freeman
San Diego Union(サンディエゴ・ユニオン新聞記者) - 「決して誇張などではなく、アーニー・バーンズは我々の世代のジョージ・ベローズと言えるだろう。1920年代べローズがボクシングを題材にした傑作にあった強さやドラマ、感情といったものが見られた様に、同様にバーンズはフット・ボールや野球の凶暴さや美しさがその凄まじい洞察力によって描かれた。」
- Dayle Kerry
Visual Arts Consultant(ヴィジュアルアート・コンサルタント) - 「バーンズはただ単に抽象画の流行を追ったわけではなく、彼自信のスタイルを構築する勇気があった。抽象アートに革命が求められていた時期にあり、彼の作品に対する需要は増えていった。
熱心なコレクター達は新作を求め常々やってくる。ネットや口コミの情報を頼りに来たりする者もいる。
宣伝などは全くしていなくても彼のイメージに直感的な衝撃を受けるからなのだろう。ファンが愛するのは作品に於ける情感的な知性と彼の想像力である。
アフリカ系アメリカ人であるという事が、アーニー・バーンズの地位名声を維持しているのではない。黒人社会のみに身を投じ受け入れらているということではないからだ。」
- Paul Tagliabue
NFL Commissioner(NFLコミッショナー) - 「アーニー・バーンズは選手達にとって引退後にこんな生き方もあるんだと示してくれた素晴しい前例だ。私達NFLファミリーは、アーニーが現代の最も素晴しいアーティストとして認知されていることを誇りに思う。」
- Peter V. Ueberroth
President, 1984 Los Angeles Olympic Organizing Committee(ロスオリンピック運営委員会プレジデント) - 「アーニーはオリンピック競技のエッセンスを表現することに成功した。今後もライフ・ワークとしてLAの人種の多様性、スポーツ競技のパワーや感情、スポーツの世界で生きようとする夢や希望を描いて欲しい。」
- Jack Kemp
Former Congressman(前議員) - 「アーニーはアメリカン・ドリームの生きる証しだ。
個人的に私はアーニーの30年前のスケッチブックが見つかったことが非常に嬉しい。それらスケッチはいかに彼が忍耐強く道義的で、粘り強さと勇気が勤勉さへと変化し、泥染みを付けた年寄りレフトガードから誰からも尊敬される成功者であり芸術家となった人生の青写真である。
そういう事は起こり得る。私のチーム・メートであるアーニー・バーンズには起こったよ。」
キャリア年表
- 1966
- ニューヨークジェッツ(New York Jets)のオーナー Sonny Werblin のバックアップにより、初の個展 "Football In Action" を開催。 (@Grand Central Art Galleries, Manhattan, NY)
- 1968
- Tom Harmon のホストにより、個展 "The Sports Art of Ernie Barnes" を開催。(@McKenzie Gallery, LA)
- 1969
- Charlton Heston のホストにより、個展を開催。(@McKenzie Gallery, LA)
- 1970
- Adela Rogers St. John のホストにより、個展を開催。(@McKenzie Gallery, LA)
- 1971
- 国会議員 Jack Kemp, John Conyers のホストにより、個展を開催。(@the Agra Gallery, Washington, D.C.)
- 故郷のノースカロライナにて個展を開催。(@Elizabeth City State University, North Carolina)
- 1972 (-1990)
- 伝説の個展 "The Beauty of the Ghetto" ナショナルツアーを全米で開催。
- (@The Heritage Gallery, LA by Tom Bradley 1972)
(@The California Science & Industry Museum, LA by Tom Bradley 1972)
(@North Carolina Central University Art Museum by James Hawkins 1972)
(@Atlanta High Memorial Museum by Maynard Jackson 1972)
(@Orr's Gallery, San Diego by Lionel Van Deerlin 1974)
(@The California Science & Industry Museum by Tom Bradley 1974)
(@Museum of African Art, Washington, D.C. by Ethel Kennedy & Brig Owens 1974)
(@Bedford-Stuyvesant Restoration Center, Brooklyn. by Ethel Kennedy 1974)
(@The Grant Wood Museum of Art, Cedar Rapids, Iowa 1976)
(@The North Carolina Museum of Art, Raleigh by H. M. Michaux 1979)
(@Grand Central Art Galleries, New York 1990)
- 1974 (-1979)
- ゴールデンタイムTV番組 "Good Times" にて、作品 "Sugar Shack" がフューチャーされる。
- 1976
- 作品 "Sugar Shack" が、マービン・ゲイ(Marvin Gaye)のアルバム "I Want You" の表紙ジャケットになる。
- 故郷のノースカロライナ ダラムにて個展を開催。(@ North Carolina University Art Museum)
- 1977
- 個展を開催。(@ Heritage Gallery, Los Angeles)
- 1978
- James Hunt知事のホストにより、個展を開催。(@North Carolina Museum of Art, Raleigh)
- 個展 "Athlete As An Artist" を開催。(@Spectrum Fine Art Gallery, New York)
- 1979
- Edgar Bronfman のホストにより、個展 "Ten Who Remember"を開催。(@Seagram's, New York )
- 個展を開催。(@North Carolina Art Society Collectors Gallery)
- 無題の作品が、ドナルド・バード(Donald Byrd)のアルバム "Donald Byrd and 125th Street, NYC" の表紙ジャケットになる。
- 1980
- 作品 "Late Night DJ" が、カーティス・メイフィールドのアルバム "Something To Believe In" の表紙ジャケットになる。
- 1983
- 個展を開催。(@Spectrum Fine Art Gallery, Los Angeles)
- 作品 "The Maestro" がクルセイダーズ(The Crusaders)のアルバム "Ghetto Blaster" の表紙ジャケットになる。
- 1984
- 夏のロスアンゼルスオリンピックの公式アーティストに任命され、5作品を創ることと、ゲットーの若者に勇気を与えるためのスポークスマンの役割を果たす。
- 国会議員 Jack Kemp のホストにより、個展 "Victor's Crown" を開催。(@Heritage Gallery, Los Angeles, and the Calvert Collection, Washington, D.C)
- 1986
- 作品 "Head Over Heels" がクルセイダーズ(The Crusaders)のアルバム "The Good and Bad Times" の表紙ジャケットになる。
- 1987
- ロスアンジェルス・レイカーズ(Los Angeles Lakers basketball team)のチャンピオンシップの為に依頼され、作品 "Fastbreak" を発表。
- 1988
- シルベスター・スタローン(Sylvester Stallone)からの依頼で、壁画 "The Metamorphosis of Rocky"を創作。
- 1992
- 個展を開催。(@Heritage Gallery, Los Angeles)
- 作品 "Growth Through Limits" が、LA市内の公的掲示板に採用される。
- Seton Hall University, New Jerseyからの依頼で、壁画 "Meeting the Challenge" を創作。
- St. Benedict's Prep School, Newark, New Jerseyからの依頼で、壁画 "A Dream Confirmed" を創作。
- 1995
- グループ展 "20th Century Masterworks of African-American Artists"(20世紀を代表する、アフリカンアメリカンアーティスとの偉大な作品)が全米で開催される。
※この時フューチャーされたアーティストの中で、存命だったのはアーニー・バーンズのみ。 - 自伝 "From Pads to Palette." 出版。
- 1996
- The Carolina Panthers football team のオーナー Jerry Richardson の依頼で、作品 "Victory in Overtime" を創作。
- NBAより50周年を記念して依頼された作品 "The Dream Unfolds" を発表。
オリジナル原画はマサチューセッツスプリングフィードのメモリアルバスケットボール館に展示されている。(The Naismith Memorial Basketball Hall of Fame in Springfield, Mass)
- 1998
- 俳優のウィル・スミスと息子の肖像画を描く。
- ノースカロライナ中央大学法学部に寄付する。(The North Carolina Central University School of Law)
- 1999
- 6種類のモチベーショナルスポーツポスターを発表。
- 2000
- 作品 "In Rapture" が、B.B.キングのアルバム "Making Love Is Good For You" の表紙ジャケットになる。
- 2001
- 9.11の同時多発テロへのヴィジュアルレスポンスとして、作品 "In Remembrance"を発表。(@Seattle Art Museum)
- ボクサーのデラホーヤ(Oscar De La Hoya)の肖像画を描く。
- 2002
- 作品 "In Remembrance" が、フィラデルフィアへ移される。
- 2005
- カニエ・ウェスト(Kanye West)からの依頼で、作品 "A Life Restored" を発表。
- 2007
- NFLとタイムワーナーのスポンサードによる個展 "A Tribute to Artist & NFL Alumni Ernie Barnes: His Art & Inspiration" を開催。(@Time Warner Center, New York City)
- 2009
- 全米トラベリング個展 "Liberating Humanity from Within"(内なる人間性の解放)を開催。
- 同年4月27日、血液疾患によりロスアンゼルスの Cedars Sinai Hospital にて他界。享年70歳。
遺骨はかつて家族の家があったノースカロライナ州ダラムと、生前に愛したカリフォルニア州カーメルの海に埋葬された。